社会科学 – 国家像と社会の変遷

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近代社会と現代社会を比較し国家像や社会、国家の役割がどのように変わっていったかを確認しておきましょう。

国家像の変遷

近代国家と現代国家の国家像は下の図のように変化してきたと考えることができる。

図1.国家像の変遷

絶対王政を打倒した近代市民社会における国家は、市民の経済的、政治的活動に介入せず、自由放任主義を基本としていた。このような国家を「消極国家」という。国家・政府の役割は、外敵の侵入防止、国内の治安維持、最低限のインフラ整備やそのための徴税など最低限の機能しかもっていなかった。このような国家をドイツの社会民主主義者ラッサールは「夜警国家」と呼んだ。また、国家の統治機構としては最低限の法律があればよいと考えられたことから、議会つまり立法府が最高機関となる「立法国家」であった。

その後、資本主義の発展により貧富の差の拡大や、世界恐慌など自由の追求だけでは解決できない問題が発生した。すると国家は市民生活に積極的に介入する「積極国家」であるべきであるという考え方が広まり、福祉やサービスなどを積極的に行う「福祉国家」の時代が到来した。国家が市民生活に介入するため、行政の役割が増したことから「行政国家」と呼ばれるようになった。

20世紀は福祉国家化、行政国家化が進んだことから国民の日常生活は国家つまり政府の存在なしには成り立たなくなっていった。一方で行政の役割が増えることで、税金負担増や公債負担増につながり、1970年代以降、先進国では財政赤字の膨張に苦しむこととなった。アメリカではマネタリストやサプライサイド経済学によってケインズ経済学が否定され、財政赤字の解消が最優先課題であると認識されるようになり、この風潮は「新自由主義」、「新保守主義」と呼ばれるようになった。

ケインズ経済学 – 国家が裁量をもち低金利政策や公共事業を行うことで消費を拡大し、有効需要を増やす必要があるとした。

マネタリスト – 反ケインズの考え方。裁量的な経済政策を疑い、小さな政府を提唱した。

サプライサイド経済学 – 供給力を強化することで経済成長を目指す考え方。減税などによる民間経済の活性化、規制の緩和・撤廃が説かれ小さな政府を目指すことを主張した。(レーガノミクス)

上記のような背景のもと、1980年代にはアメリカ、イギリス、日本などで再び小さな政府を目指す動きが強まっていった。民営化やアウトソーシングがその例であり、中曽根政権下での国鉄の分割民営化(1987)、小泉政権下での郵政民営化(2006)が行われた。

社会の変遷

近代国家は制限選挙制であったため、市民は選挙権を行使することで政治に影響を与えることができる存在であった。しかし自由市場経済の発展により、不公正な資源配分、貧富の差の拡大などの問題が顕在化し始めた。また、20世紀に「生存権」や「労働基本権」などの社会権が主張されはじめ、その実現は国家の責務であると考えられ、ドイツでワイマール憲法(1919)が成立した。

ワイマール憲法 – 世界で初めて社会権を保障した憲法。資本主義経済の発展に伴い生じた問題点を是正するために作られた。

1929年の世界恐慌の際、アメリカではニューディール政策が行われるなどケインズの有効需要の原理に基づき国家が率先して国民生活に介入していくことが必要とされ始めた(積極国家)。最低限の国民生活を保障するため、とくに社会福祉の充実が進められ福祉国家と呼ばれるようになっていった。

またこれを達成するために、立法府ではなく専門知識と現場感覚を持った行政府(官僚)がその中心となっていった。

まとめ

近代国家から現代国家に移るにともない、国家像は「小さな政府(消極国家・夜警国家・立法国家)」から「大きな背府(積極国家・福祉国家・行政国家)」へと変遷していった。

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